回避性恋愛論2-真っ当な恋愛のためにはご自愛が必要らしい

回避性人格障害(APD)とは、他人と何らかの関わりを持つ対人関係や社会活動を回避しようとする特徴を持つ性格行動パターンを指します。他人に自尊心を傷つけられるかもしれないという強烈な不安を常に抱えており、自分に対しては評価が低く、他人に対しては警戒心が強いのが特徴です。

そのため、他人や社会と関わりたいという欲求を持ちながらも、自分が否定・拒絶されるかもしれないと思って不安になり、対人関係を避ける行動を取ります。

今回は、回避傾向が強い私の恋愛について書きました。ブログのネタにしたところでキラキラした話でもないよな〜とは思う…どころか生傷を抉るのだけれど、最近いっぱい考えたことではあるので、整理と備忘録をかねて書いておこうかと。

恋愛って難しいなとひとりごちていた1月

1月の半ばに、1年と9ヵ月くらい付き合っていた恋人と別れました。
私の人生において『恋人』というカテゴリに正式における人は初めてでした。

『恋人ごっこの遊び相手』はこれまでにもいたのだけど。順序がおかしいのは、よくわかっているが、なにせ初体験の相手からナンパだったもので…。

回避性恋愛論、以前に投稿記事書いてからかれこれ3年以上経っているらしい。

ほとんど編集しないでアーカイブしておきました。

前回の記事→回避性恋愛論1-こじらせ承認欲求と恋愛

投稿記事だったというのもあって、割とポジティブな締めで終わっているのだけど、ま〜3年も経っているというのになんら成長していないことに我ながらうんざりするなどしていたらかれこれ1ヵ月近く時が過ぎている。時間の使い方がヘタなのにもついでにうんざりします。

「自分なんて愛されない」という決めつけが抜けない

恋人との関係は表面的にはうまく行っていたと思います。
ただ、自分には正面から愛して恋してというのは難しいと痛感した関係でした。
基本的には自分が嫌いで、だから「こんな自分が愛されるはずがない」という固定概念が抜けなくて、恋人に対して「付き合ってくれている」という劣等感が常にあって、苦しかった。

自分を愛してくれる人間の気持ちを素直に認めるということは、つまりは自分を認めるということでもあって、それができなかった。

上っ面だけ取り繕って、でもどこか信用しきらないので、何も充足できず進展できず、やがて放り出した。
正直相手も自分もいい年ではあったので、そろそろ例えば「結婚」「同棲」の話題が出ても良かったし、そのための「貯金を始める」みたいなステップがあっても不自然ではなかったはず。考えるだけで怖いけど。
人間関係は自分を映す鏡であると言うのはよくわかっています。類友。上辺だけなのは私がそうだから。
結果、酷い振り方をして傷つけてしまったのを反省しています。
こちらが悪いのに別れ話をしながら泣いていたのは、傷つけたという自覚はあったのと、何も成長してないことが悲しかったから。
こんな自分と別れたのは相手の為だと納得させて、そしてまた独りになるのだろうと、勝手に悲劇のヒロインぶっているんですね。
また自分を嫌いになり、自己評価を下げていくのがいつものパターン。

「愛される」よりも、「愛したい」を大切にしたい。

別に某アイドルの歌ではなく。
初めて『恋人』の型に嵌めた関係の人ができたので、その関係なら何か変わるかと…安心できるかと、思っていたけど、そんなことはないのでしょう。
『恋』に勝手に幻想を抱いていただけです。結局プレイヤーは自分自身だし、『人間関係』であることには変わりないのです。
「愛されたい」が強すぎるから、「愛されなかった」時のための保険として「自分は別にそこまで本気じゃなかった」とか「ちょっとランクを下げておこう」とか「捨てられる前に捨てよう」といった逃げ道を用意しておくのが私の『人間関係』の処世術になっているんだと思います。別に恋愛に限らず。
それをしていると、相手のことをナメてかかったり、信用しなかったり、相手が自分を好きということを否定するといった態度になって、相手の信頼を裏切るわけです。
人間、誰だってそんなことされたら嫌なので、まぁ回避性が強い人間は離れられていくのです。
思えば、3年前、鬱になっていた時はそんな自分への絶望感が強くて、うまくいかないなら「死」へ逃げるということも考えていました。
しかしまぁ、これも努力しないタイプの自己防衛の思考。
死なないためには、ちょっとずつ努力していくしかないです。
「死」は考えていたけど、「うまくいかないまま生きていたくない」だけであって、「死」に意味は見出せないから。
とはいえ、「自分を愛する」というのは、今はまだ難しいです。
自分のなすことについては、基本的に「もっとこうすれば良かった」「仕事が遅い」という欠点しか見つからないんですよね。そして自分を責めてしまうので。
だからせめて、人ともっと関わって、人のためになることをしていけたらいいなと、最近は思っています。
信頼して仕事を任せてもらえたら、やれるだけのことはやる。
もしも「ありがとう」といってもらえたら、否定しすぎずに喜んでいい。
遊びに誘ってもらえたら、極力行けばいい。
でも、自分が疲れてきたと思ったら、その時は休んでもいい。
小さなことでもいいから他人を愛する(受け入れる)視点を持っていけば、その愛は自分に戻ってくるんじゃないだろうかと。
わたし、『ご自愛』ください。
この言葉は普通の文脈なら、病気などしないように自分を大事にしてね、ってニュアンスで相手を思いやる言葉なのはわかっています。
ただここでいうのは、自分を認めてあげてもいい、好意を持ってくれる人や高い目標を拒否しなくてもいい、そういう意味での自分を大事にせえという話。
そしてご自愛のために、まずは小さく他人を愛することからぼちぼちやって行こうと思うのでした。
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